個人、チーム、顧客のWin-Win-Win :-)

今までなら、「かなりひどい仕打ち」を受けていると思うだろう。実際、ちょっとひどい。

  • 他チームサポートもし、自チームの進捗を守るため、平均270時間/月も働いているのに、バグがあると「たるんでいる。」と言われる。
  • ミスをすると、とても他人に厳しく非難される。「プロ意識が欠けているのなら...」とも言われた。
  • 他人には厳しく、自分たちに甘いサブリーダたち。失敗すると「だから、早くテストしようと言ったんだ。」とか、「向こうに合わせたんだから...」などという発言ばかり。その代わり、私がミスをすると「ミスが多すぎる。どうしてミスが起きるのか明確にし、対策を立てなさい。」と言ってくる。私としては、「早くテストをしないからです。私のチームはずっと待ってましたよ。待っている間、そちらのサポートもしていましたよね。」とか「残業を減らして、集中力を高めて作業させてください。」と言ったが聞き入れられない。「作業時間を増やす。」、「さらに完璧な手順書の作成と作業履歴を作成する。」という対策を提示し、納得してもらったが。
  • ウォーターフォール開発のデメリット、早期結合するための手段を提示しても、反応なし。最終的にはテスト局面が遅れている。

こういうように、私としては今のチーム(隣のチーム含めて)をあまりよい状態だとは思っていない。しかし、問題なのは私自身が「こんなに頑張っているのに、なぜ認めてくれないのだろう。」と思ってしまうことだ。冷静に考えると、確かに私はよくやっている。はっきり言って私生活やコミュニティ活動まで犠牲にし、このプロジェクトを成功に導くため、日々作業をしている気がしていた。他チームが納得するのなら、「作業時間を増やす。」ということも納得している。(悲しい文化だ。しかし、それが私の能率アップにつながらなくても、みんながそれを望むのなら、そのほうがプロジェクトに参加しているほかの人たちの精神衛生上満足されるのなら、そのほうがプロジェクトにとってプラスだ、ということ。)プロジェクトにこちらの作業をアピールすればもう少し状況は変わるかもしれないが、恩着せがましいのもあまり望ましくないだろう。なので、「認めてもらえない。」から「あいつらはひどい。」という感情に発展するのだ。確かに人に厳しく自分に甘い人が多いのは事実だ。しかし、だからといってそのことを直球で指摘したところで何にもなりはしないだろう。おそらく、そういう自覚は無いだろうし、彼らもまた私と同じように「私はこんなに頑張っているんですよ。」と思っているだろう。そういう意味では、私だって、ほかの人から見たら、「他人に厳しく、自分に甘いヤツ」と思われているのかもしれない。

ただ、この「どうして認められないんだろう。悲しい。」と思うこと自体おかしな話だ。原点に戻ろう。私は何のために、頑張っているのだろう。大本はやはり「自分の幸せ」を第一に考えているように思う。

  1. 自分が幸せになるためには、プロジェクトが成功しなければならない。
    1. 他人が不幸なのを平気で見ているほど強くは無い。
    2. 発注元の不幸は携わるすべての会社に不幸をもたらす。(追加案件が出ない、ほかの会社へ依頼など。短期的にはプラスになるかもしれないが。)
  2. プロジェクトを成功させるには、チームで協力しなければならない。
  3. チームで協力するためには、自分にできる限りのことをする。その行為はもともとは自分のためである。

という流れなのだ。じゃ、一生懸命やっているのも結局は自分のためではないか。それなら他人に認められるかどうか、なんてあまり関係ない。「すみません、チームより自分自身が大事なんです。」でよいのだ。で、自分自身が大事だから、「チームを重要視し、最高のパフォーマンスを挙げて作業し、顧客に価値を生み出さなければいけない。」と思うわけだ。ここに個人、チーム、顧客の「Win-Win-Win」が成り立つ。


こう考えるとチームの人に認められなくても「自分のため」に作業しているのでそんなことはどうでもよくなるのだ。自分は作業請負だし、自社の利益が確保されたり、自分の給料があがったり出世したりすればそれでよい、と考えならばそれもよいのかもしれないが、やはりそれは全員がWinの関係にはならない。(win-lost-lostって言うのかな?)それでもそれが自分の本当に望んでいる姿であるのならよいかもしれないが、私は全部が勝たなければ満足できない。せっかく一生懸命やっているプロジェクトだ。それが失敗すれば、たとえ自分の利益が確保されても、自分は楽しみを感じることはできない。そういう考えでは仕事を楽しむこともQoELを高めることもできない。どうしても自分だけよければよい、とは考えられないのだ。これは私自身のエゴかもしれない。だから、私は自分のためだけに作業をしているのだから、プロジェクトの成功も考えるし、チームのためにも頑張るし、理不尽な扱いにも耐えていけるのだ。

すべては自分自身のためだ。そう考えれば、誰にも認められなくてもつらくは無い。

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最近思うのだが、こんなことは学生のころに考え、同じ結論に達していた。言葉にすると「当たり前」なのだがその「当たり前」を忘れたり気づかなかったりしている自分がそこにいる。以前読んだ、「こころの処方箋」(河合 隼雄 著)という本にも同じことが書いてあった。