プロ意識 :-|
プロ意識
最近、「プロ意識」という言葉を意識している。というのもその言葉を最近聞くことがあったからだ。
ひとつはふりかえりで「プロ意識が低い」というPROBLEMを挙げた人がいたこと。
もうひとつは、デプロイミス(モジュール忘れ、古いJARへの参照のままビルドなど)が連続した際に、「もしプロ意識が低いとしたら...」と言われたこと。
一般的な「プロ意識」
「プロ意識」とは通常、
- 製造責任を持ち、必ず目的を達成すること
ということで使われることが多いように思う。ふりかえりででた「プロ意識」は(きちんとは聞けなかったが、おそらくは)以下のようなものだと思われる。
- チームの進捗が遅れている。品質も悪い。
- 自分は高い危機意識で作業している。
- 残業もたくさんしている。
- ほかの人は、すぐ帰る人もいるし、指示が無いと動かない人もいる。
- リーダたちもムダ話ばかりしている。
うんうん、そう思う気持ちはよくわかる。
しかし、他人のことはわからない。たとえば、残業をしない人がいてもその人は、
- 自分は1日8時間集中して最高の仕事をするため、毎日休養も必要である。
- ほかのメンバにも集中して作業してほしいので、目立つように早く帰っている。
- 業務に生かせる学習をするため、早く帰っている。
という理由があるかもしれない。またムダ話だって、
- 一見、ムダ話のような会話を多くしているが、チームの場作りを考慮し行っている。
- ムダ話でもコミュニケーションから思わぬ問題が発覚したり、気づきがある場合もある。コミュニケーションを活発にしてほしい。
と思っての行動かも知れない。
もともとどちらも目的は一緒である。プロジェクトを成功させたいのだ。そういう意味ではプロジェクトを成功させたいために何をすべきか、を総合的に考えるのが「プロ意識」かもしれない。だとしたら、その人の意識の問題でしかないので、わからないというところだろ。
ミスを糾弾
最近、遅れ、品質の悪さが目立ってきており、危機的な状況になってきた。そのためか、イライラしている人が多いようで他人に対し厳しくあたる人が増えている。
- 「なぜ、XXで処理が停止ているのか。明確な状況報告をしてください。」
- 「修正したなら、どこをどのように、かつなぜ修正したのかを明確に答えてください。」
- 「これは、直した、と言っていませんでしたか?どういう状況か正確に答えてください。」
こんな言葉がメーリングリスト上を頻繁に流れている。で、私も言われたのだ。「プロ意識が低いのでは?」と。*1
- 「うまくいかないのはお前たちのチームのせいだ」
- 「少しでもミスを少なくしなければいけない。いい加減、ミスをなくしてくれ。」
- 「そっちが失敗するから、こちらのテストが進まない。こちらのテストが進まないから、あとで障害がでても、あなたたちのせいだからね。」
こういう感情で相手に厳しく当たってくるのだ。その中で、
- 「きちんとやることやれよ、あんたたち。」
となる。これが彼らの言う「プロ意識」だ。
本当の「プロ意識」
私は「プロ意識」と聞くとすこし冷たい響きを感じる。システム開発の現場では顧客からの一次受け企業から、作業請負契約までさまざまだ。で、作業請負の「プロ意識」とはこんな感じでは無いだろうか。
- 「プロとして責任は持ちます。しかし、契約以外の作業はできません。」
- 「作業指示をいただければ、最高のパフォーマンスで作業します。しかし、作業指示がなければ特に何もする必要がありません。」
- 「作業指示に対し、こちらで完了日時を提示します。もし遅れや品質が満足できない場合、責任はとります。」
- 「金額分の作業はします。それ以上を望む場合、別途契約をさせて検討させていただきます。」
これが「プロ意識」と思う。もちろん、そんなことを意味して彼らは「プロ意識」とは言っていない。
根性ボランティア
じゃあ、彼らは何を要求しているのか。それは単に「ボランティア」になれ、といっているのだ。
- 遅れているのだから、お前らも苦労するのは当たり前だ。
- こっちがこんなに大変なのは、お前らのスキルが低かったせいだ。責任とってもっと残業しろ。
- 土日だって作業するのは当たり前だ。甘えたことを言うな。もっと奉仕しろ。
この流れから、相手に対し厳しい態度が生まれ、「ミスをした奴をゆるすな!」という文化が生まれてしまうのだ。ボランティアさせるのが当然と思い始めてしまう。で、最後には責任のなすりあいが始まるわけだ。これを私は「根性ボランティア」の強制と呼んでいる。
この「根性ボランティア」が彼らの言う「プロ意識」のことなのだ。
私の対策
で、私は相手に上記のような理屈を直接言うことはしない。こんな理屈を言われたところで、納得するわけがない。しかし、気が付いてほしいとは思う。なので、こういう悪い流れを進めていくのなら、こちらにも覚悟があるぞ、というのを態度で示している。
- 今回も土日は出社します。ほかに誰が出社しますか?(奉仕しろ、といっているあなたたちも当然、休日は無いですよね。)
- 今日は飲み会には参加しません。そういう状況じゃないことを理解しているつもりですから。
- 本日は自社の帰社日だったのですが、戻らず作業をします。
- 社外コミュニティ活動は停止しています。このプロジェクトの状況を考えれば当然です。その分残業します。
- 記事や講師の依頼も断っています。プロジェクトが優先ですから。
すべて口頭で伝えているわけではないが、そういう態度や状況がやんわりと伝わるようにしている、という感じだ。
ああ、イヤミだねぇ。しかし、そこまで追い込んでいるのはあなたたち自身なんですよ、と知ってもらいたい。メンバ全員がすべてを犠牲にしてプロジェクトに捧げて、プロジェクトは成功するのだろうか。
「プロ」ではなく「チーム」
本当にやりたいのはプロジェクトの成功なのに、全員の力が違う方向へ働いてしまうのだ。たいていのプロジェクトには悪人はいない。みんな、プロジェクトの成功のために頑張っているのだと思う。他人に厳しい人たちも、悪気があるわけでは決して無い。ただ、その方向性は悪いと思う。このような流れに行くと、チームの力は確実に落ちてくる。
- 体調不良で、当日急に休むメンバが増える。
- ストレスのため、生産性が落ちてくる。
- ミスを恐れるあまり、慎重になりすぎ時間をロスする。
- ミスを隠すようになる。問題を隠す文化が生まれる。
- イライラするメンバが増え、楽しくない。
- 提案が減る傾向が強まる。
実際、問題を隠す文化がはびこっているため、テスト開始が3ヶ月も遅れる、というのがテストに入るわずか1週間前にはじめて明るみにでたりするのだ。
結局終わらないものは終わらないのだ。終わらせるためには
- 期間の延長
- 要員の追加
- 機能の縮小
しかない。期間延長は大抵NGだ。要員追加は価格対効果で言えば低いかもしれないが、要件を満たす可能性は高まる。しかし、通常は機能の縮小を検討するべきだろう。本当に必要な機能にのみ注力し、たとえば、運用管理系や非機能要件などを少し犠牲にし、それらを段階リリースとして提供することにするのだ。そういう対処をせず、「根性ボランティア」を強制するのは結果的には誰も幸せにはなれない。おそらくそのやり方では思ったより生産性もあがらず、要件を期日に満たすことはできないだろう。
- 「できていないから、頑張ってもらう。」
は間違いだ。正解は
- 「みんないつも頑張っている。それを私たちは知っている。」
だ。どんなときでも全員が頑張って作業をしているので、それ以上のことはできないはずなのだ。そんなときに「根性ボランティア」を強制し、他人を非難し、私生活を犠牲にして作業をしても結局、プラスにはならない。そもそも、私らが頑張っていると思っていないから、いろいろ強制してくるし、ミスも許さないのだ。
ある意味、これが「プロ意識」かもしれない。私らは、「プロ」なので、指示されなければやらないし、契約分しかやらない、と思われているのかもしれない。そう、「プロ意識」で作業に望むことのほうがマイナスなのだ。そしてそんな思いで作業に望んだところで、誰も楽しくは無い。
自分は「プロ意識」を捨て、プロジェクトの成功のみを考えているつもりだ。だから頑張れるのだし、成功すれば喜びも大きい。プロジェクトが成功するとお金がもらえるからうれしい、ではないのだ。こういう「プロ意識」徹底主義にみせかけた「根性ボランティア」強制では成功へ導くことはできない。
まず、相手を信頼すること。メンバはいつも一生懸命頑張っている。すでに高い意識を持って作業している人ばかりのはずなのだ。現実に、私の経験から見るとほとんどの人がそうであった。ただ、優先度の判断ができなかったり、経験が少なく、ほかの人より苦労しているだけだったりする。こういう状況をきちんと理解しなければいけない。そう見えない場合はその理由があるのだ。その理由を理解し、全員で成功に進むべきなのに、どうしてこう他人を信用できないのだろう。他人を信用できないから、相手に対して厳しくなり、結果悪いシナリオが実現されていくことに、なぜ気づかないのだろう。まだまだ苦労は続くようだ。
*1:正確には言葉は異なるがニュアンスはこうであった。