気づきを得る、気づきを得やすくする :-)
今日は充実した一日だった。実はちょっとしたワークショップを担当する予定だったので、その参考にできればと知り合いが講師をしているワークショップを無理言って見学させてもらった。はじめのうちは「自分ならこうするな。」とか「こういう説明したほうがいいんじゃないかな。」なんて思いながら見学していた。しかし最後になってそれらすべてが仕組まれた計算だったということに気がついた。
要するに、参加者に気づかせるためにわざとスキを作っていたのだ。
自分も常日頃から「自分で気づくことが重要」と思いながら、いざ自分がワークショップを開くことになったら、すじ道たてて説明をし、なるべく疑問がわかないように、丁寧に説明しながら進めようとしていた。また以前上司からも「主張を一言で言えるように!」という注意は受けていたので、一言で言える主張も意識していたし、それだけが伝わればよいとも思っていた。なので、そこを伝えるために丁寧な説明をしようと考えていたのだが、それではダメなのである。つまり、丁寧にすべてを説明してしまうと
- 気づきを得る余地がなくなってしまう。
のだ。ここを重視し、参加者自らに気づいてもらうためにある程度スキをみせ、考える余地を与え、最後にグループディスカッションや発表によって参加者個人に気づかせる、こういうスタイルだったのだ。いや、目からうろこが落ちた気がした。
どうしても
- 自分の中でできる限りの最高のワークショップを開こう
- 最高の資料を作り、わかってもらおう
と思ってしまっていた。そんなに丁寧に説明されると、はじめから回答を与えられた説明を聞いているようなもので問題を解く喜びも、問題を解いた後それが脳に焼きつく度合いも異なってくるのだと思う。
意識をもって参加されている方々は、無理に詳細な説明やお仕着せの理屈を押し付けなくても自分で何かに気がつき、何かを得ていくものだ。それを影からサポートするのがもっとも高尚なセミナーやワークショップなんだ。
今回は、セミナーやワークショップの資料で最高のものを作らない、という新たな気づきを得ることができた。
講師の方、とてもよい気づきをどうもありがとうございました。
ただ、自分のワークショップは事情により中止になってしまった。残念!次回機会をうかがうことにする。
補足
別に参加者を自分より劣っているとか、気づかせてやる、とか考えているわけではないです。気づきを得るためにはスキマが必要ということ。言いたいことは、セミナでもワークショップでも最も重要なのは参加者が何かを得ることだと思う。そのためにはさまざまなやり方がある、ということを覚えておきたかっただけです。