週40時間労働はNG(;.;)

以前のXPでは確か「週40時間労働」というプラクティスがあったように記憶している。当時、「そのとおり。40時間以上の労働を強制してもよい結果は生まれない。また過剰な労働は集中力の低下を招き、結果的には作業も遅延する。」と思っていた。しかし、いままでの経験では「週40時間労働」なんてしたことが無い。

自分は実際はたとえタスクが無くても、「何かプロジェクトに役に立つことは無いか?」と考えたり、「時間があるうちにツールの調査をしよう。」などと何か作業をし、週40時間以上必ず働いていた。*1 超過勤務手当てが出なくなってからはとても気が楽で、自由に自分の時間を過ごし、勉強だけではなく、情報収集(まあ、ネットサーフィンやね)をしたりしていた。超過勤務手当てが出る立場のときは、「お金をもらうのだから、それだけの作業をしなければいけない。それだけの作業ができないのであれば、早く帰ら無ければいけない。」と感じ、「この勉強は会社でしてよいのだろうか。」などといつも余計なことばかりを考えていた。*2
先輩や上司からも「忙しいの?暇なら早く帰ったほうがいいよ。」などと背中を押されることも多々あった。週40時間労働なら、即帰るべきだ。しかし、自分の心の中では「いつ、困った問題が起きるかわからない。そのときのために少しでも役に立つようにスキルアップを目指したり、さまざまな情報を知っていたほうがよい。」と考え、実は自分の中では「週50時間作業すること。」という自分だけのノルマを課していた。はっきりいって「早く帰ってリフレッシュして!」といわれることは苦痛だった。

別に早く帰ったからといってやることが無い、とか居場所が無い、ということではなかった。ただ自分の性格上、家に帰ると仕事のことはすべて忘れてしまい、テレビを見たりゲームをしたりしてしまうので、やりたいことをやるのには、作業場所でやるほうが都合がよかったのだ。

以前、管理職だったころ、中堅の女子社員と面接した際に「忙しくて大変です。毎日帰宅が24時を過ぎてしまいます。」と言われたので、「顧客に、過剰な勤務をやめるように要望しようか?」とたずねたことがあった。しかし、その女子社員は「いえ、最近はなれたので以前ほどは大変ではありません。ただ、自分の時間が無いのが少しつらいですね。」と話していた。

たいていの場合、超過勤務をしている人には責任はなく、他の部署やチーム、リーダなどの問題で過剰勤務が強いられる場合が多い。今回のケースも同様だった。で、自分から見ると、「たくさんの時間を作業してもしなくても、あまりプロジェクトにとっては効果ないよ。」と思えるようなことばかりで超過勤務をしていた。もちろん、プロジェクト運営に問題があるのだが、彼らはまだそんなことは気づかない。彼らはリーダから指示されたタスクを一生懸命こなしていただけだったのだ。しかし私から見れば、あまり有効な作業ではないので、「そんなことするより、早く帰ってリフレッシュしたら?かえって効率も悪いでしょ?」と彼らに声をかけ、帰宅を促していた。気がつくと、以前、自分が言われていやだったことを部下にしていたのだ。

後日、その中堅女子社員が退職したい、と言うので、話を聞いてみた。まあ、いろいろ話はあったのだが、自分としては「一緒のプロジェクトではとても気にかけてあげたのに。」という気持ちが強く*3、なかなか彼女の言うことが理解でなかった。以前、彼女から「過剰な勤務が多い。」ということは聞いていたし、今回も退職理由のひとつに「自分の時間が取れない。」というので、

  • 「作業がキツイのであれば、残業しないプロジェクトへのアサインや社内作業にしてあげることもできるよ。考え直すことはできないかな。」

と伝えてみた。するとその女子社員は顔を赤くして

  • 「そういうことを言っているんじゃないんです。いったい私の何を見てきたんですか!」

と激昂されてしまった。

  • 「だって、自分で言っていたじゃないの。それに、私はあなたのためを思い、顧客にもあまり過剰な勤務をさせないように頼んだり、自分がいるときは君の作業を肩代わりもしてあげるっていつも言っていたよね。君はお客さんからもコミュニケーション能力を高く評価されているので、お客さんも困ると思うよ。」

というと

  • 「そういうことはもっと早く言ってほしかったですね。それにコミュニケーション能力が高いと言われても、私はあなとはまったくコミュニケーションが取れていなかったようです。」

愕然とした。コミュニケーションを積極的にしようと思っていたし、面接でも相手の意見を聞き、過剰勤務がいやなのだとばかり思っていた。

おそらくこの女子社員は単に「仕事が厳しいと言うことを知っていてください。」ということを伝えていたのだろう。決して楽な作業をしたい、週40時間労働をしたい、と言っていたわけではないのだ。自分はそうだが、他の人も同じように、自分の作業に責任を持ち、週40時間などということにはこだわらず、満足いく仕事をしたかった、そしてそのことを誰かに知っていてもらいたかっただけなのだろう。

長くなってしまったが、週40時間労働を強制することは意味が無い。これは規律型管理となんら変わらない。XP2.0ではどうやら週40時間というプラクティスはなく、「ゆとり」となっていた。Kent Beckの言いたいことは時間にとらわれ、やりたくない状況で無理をして作業をすることはよくない、と言いたいのだろう。また「ゆとり」で自分の好きな作業、満足する作業や勉強をするとよい、と言いたいのだろう。

週40時間という形にとらわれるのではなく、満足いく状況に自分やプロジェクトメンバをおく、ということが最も重要なことなのだ。満足いく状況の場合、当然、作業効率もあがり、問題意識も生まれ、プロジェクトの成功にまたひとつ近づくことができるのだ。実際、仕事がよくできる人は週40時間の労働をしている人は皆無に近い(少なくとも私の周りでは。)満足のいく状況を理解し、実践するというのが大事なのだ。

*1:働いていた、というのは語弊があるかもしれない。

*2:システム開発スキルやプロジェクトの成功にはあまりかかわらないことを余計なことと言っています。予算に対しては余計なことではないですが、動くソフトウエアに対しては予算を心配することは余計なことだと思います。

*3:こういう表現にも以前の自分がいかに相手を理解せず、立場が違うと思い込み、物事を上からしか見ていなかったがわかる。今、このあたりはもっとも注意しているつもりだけど当時はそんな考えはまったく無かった。