リーダは馬鹿であれ
今週、リーダが風邪でお休みしていた。リーダがいなくてもプロジェクトは回っているが、何か雰囲気が違う。何が違うのか。
- ムダ話が少ない。
- 笑顔が少ない。
作業自体は進んでいる。特に、ここ数日で今までのがんばりが実ってきたようで、やっと予定通りの進捗が上がるようになってきた。しかし、チームの雰囲気はあまりよくない。朝会でも問題が少なくなってきている。
今のチームリーダは、業務知識もそれほど深いわけでも無いし、技術もそれほど知らない。リーダ自身もあまり自分に自信を持っていないようだ。
だが!
このチームリーダは何と言っても明るい。それに、いちいち大騒ぎするので何をしているかわかりやすいのだ。
- 「なにー、こんなのできないよー。」
顧客からのメールを見ていて急な要望などがあると、このリーダは上記のような奇声をあげ、メンバみんなから注目されるのである。
- 「どうしたんですか?」
- 「だって、急にXXXXしろっていうんだよ。いまさらありえないよ。」
- 「ええー!。ムリですよ。どうするんですか?」
- 「どうしよう。」
- 「だって、XXXですから、XXXですよ。まあムリでしょうね。」
- 「だよね。断ろうか。」
- 「あ、でもXXXをXXXしてXXXをXXXすれば何とかなるかもしれませんよ。」
- 「ほんと?ちょっと考えてみてくれる?」
- 「はい。しらべてみます。」
こんなやり取りがしょっちゅうだ。
しかし、リーダがいないと決められた作業だけを黙々とこなすだけのチームにもなってしまう。このリーダがいるために、「笑顔」があり、「活発」な雰囲気のチームになっているのだと思う。
自分がリーダだと、どうだろうか。自分は下手に技術も知っているしこだわりもある。いつもプロジェクトを最適に保つためにいつも考えながら行動しているつもりだ。ただ、そういうリーダの下で働くと、気がつまり、スキを見せることができなくなってしまう。
リーダは技術も業務も知っているほうが良いとは思うが、あえて、自分を馬鹿にみせ、チームの和やかな雰囲気を作り出す存在である必要もあるだろう。本当に困ったときにだけ、リーダは自分の能力を見せればよいのだ。
だんだん年をとり、出世していくと自分自身がその地位にいることを納得させようとするあまり、自分自身を良く見せようと思ったり、相手を威嚇し自分の意見をごり押ししたりする傾向が強まってくる。自分の出世が目的ならそれもある意味納得できるが、私の目的はプロジェクトの成功である。そのためには、あえて馬鹿になる必要もあるのだろう。
馬鹿になったときに、心のバランスを保つ方法は必要だが、気がつく人は気がついてくれるだろう。そういう人が時たま存在している、とわかればそれだけでおそらく心のバランスも保てるだろう。
- リーダは馬鹿であれ!
自分に戒めたい格言である。