対立関係

昨日、クラス設計方針にたいし、新しいモデルを提案した。今回のシステムはStrutsのようなフレーム上での開発なのだが、Actionクラスからかならず、DIを使用して、ビジネスロジックを呼び出さなければいけない、と言う規約があったので、それに対し、規約は必要ないのでは、ということを提案したのだ。

今考えると依存モデルがすっきりするのとEoTから自分の提案は、ちょっとスジ違いだったと思うのだが、会議中は私の提案内容を「真剣」に検討すべき、という雰囲気もでていた。

会議終了後、私は用事があったので即帰社したのだが、その後検討され、私の提案は却下された。まあ、却下自体にはまったく問題ない。今は私も却下すべき提案だったと思う。

しかし、提案された側の心情は違うようだ。どうやら「対決」を申し込まれたように感じたようだ。つまり「前回のモデル」は私以外の人は検討から参加しており、自分たちの決めたモデルであったわけだ。私は最近プロジェクトに参加したため、そのような事情はよくわからず、「新しい視点で物事を考えた」ため、他の人には気づきにくい点を提案できた、と思っていた。しかし、やはり自分たちが決めてきたことを否定されるのは気持ちの良いものではないのだろう。

その後、依存関係とEoTからも、却下してよかった、ということは伝えたが、それとほぼ同時に「ここに、前回の決定事項が書いてあるから、参照しておいて下さい。」というメールが届いた。雰囲気からすると、「これをよく読んでおけよ。」という雰囲気を感じた。

提案することにより、「対決」を申し込まれた、と感じてしまうその感情はやはり理解できる。というのも、私もそのメールをもらったときに「書いてあるから読んで!」と言われると、ちょっとムカッときた。提案するときは純粋に「よいアーキテクチャをもとめて」提案しているのだが、結果としては対立関係を助長してしまう結果となりかねなかった。

もともと指摘された文書は読んだことがある。しかし、冗長であったり、一部意味が無い記述もあり、あまり真剣に読みたくなる文書ではなかったのも事実だ。もともとその文書のレビューに参加したり、進化の過程にいた人にはわかりやすいのだろうが、私にはあまり読みたくなると思える文書ではなかったので、深く理解はしていなかった。そう、決定事項のみ書いてあるので、「なぜ」がわからないのだ。そしてその「なぜ」はやはり不明な部分もあるが、明らかな間違いもあるのだ。(これはパッケージ名とクラス名の重複など)そういう間違いを見つけるととたんに文書すべてを否定してしまった私にも責任はあるのかもしれない。

結局、提案をすると、何かを否定された、と感じてしまう心の動きが人間にはある。それをどのようにコントロールし、どのように採用、不採用を検討していくか、もっと考えなくてはいけない。今回は、自分の主張を通そうと無理にはがんばらなかった。ただ、「なぜ」が理解できなかったし、だれもその「なぜ」を説明できなかった。そのため、提案された側は否定されたとだけかんじてしまったのだろう。

うーん、どうしたものか。