誉めること

「誉める」や「ポジティブ」が良いとされているが、それらを実践するにはどうしたらよいのだろう。なんとか相手の良いところを見つけ、大げさに誉めればよいのだろうか。いいや、こころから相手を尊敬しなければそれはできない。特にベテランになると、いろいろな経験をつんでいるので相手を簡単に誉めることはできない。ベテランでよくできる人が、若手を誉める場合はうそをついている場合がある。うそをつくと、たいていどこかでボロがでる。またうそをつくほうにもストレスがたまる。

言いたいことは、心のそこから相手を誉めなければならない、ということだ。そのためには、自分を謙虚に保たなければいけない。謙虚であれば相手に対し自然に尊敬の念も生まれる。お互いがお互いを尊重しあうとはそういう関係だ。口先ばかりで誉めることを考えるのではなく、自分に無い部分を正直に認め、相手のすばらしい部分を尊敬することが誉めることにつながるのだ。

ただし、相手を尊敬し続けると、今度は自分がダメな人間に思えることがある。相手のすばらしい点ばかりに目が行き、自分がダメでちっぽけな存在になっている気がしてしまうのだ。これが高じるとうつ病などの危険性もある。要はバランスだ。

  • 謙虚であれ。自分の至らない部分は認識し、相手のすばらしいところを素直に認めよう。
  • 自分に自信を持とう。自分にも他人に無い長所が必ずあるはず。相手と自分の長所を生かしあえばチームは強くなる。

謙虚でありながら、自信を持ち続けるのは非常に難しい。謙虚であると、相手の過ちも許容し、怒らなければいけないときにも怒れない場合がある。

また、自信を持ちすぎると相手を非難ばかりして、自分の思うがままに行動し始める。

いったい、我々はどうしたらよいのだろう。「項羽」になるべきか、「劉邦」になるべきか、と言う感じだろうか。とりあえず、「項羽」になる能力がある人はごく少数だろう。自分の力で「項羽」になれるのであれば、それも良いかもしれないが、非常に限られた人にしか実現できないやり方だろう。またご存知のとおり、「項羽」は「劉邦」に最終的には負けている。

そうすると、ほぼ一般的な人たちはやはり「劉邦」を目指すのが賢明なのだろう。そのためにはまずやはり、「謙虚」になりチーム内から助けてもらうぐらいの気持ちがあったほうが良いだろう。たよりにならない「劉邦」は部下からの進言を取り入れたり、部下に戦闘をまかせ、自分は何もしないのだから。そして、謙虚でありすぎ、自信がなくなってきたら、部下に助けてもらえばよいのだろう。また「劉邦」は失敗ばかりするが、それも部下がなんとか助けてくれ、最終的な勝者になれた。このあたりに、我々凡人でもプロジェクトを引っ張っていく鍵があるのではないだろうか。

劉邦」も確か、慢心したり謙虚になったりの繰り返しだった気がする。もしかしたら、永遠に謙虚である必要はなく、「項羽」と「劉邦」をいったりきたりするのが良いのかもしれない。

今日は、考えがまとまらない。

項羽」と「劉邦」のいったりきたりでは、首尾一貫していない人とみられ、信頼を得ることはできない。どうしたものか...