誉めるか叱るか

プロジェクトを進めていく上で、最近の流行は「誉める」て「ポジティブ」に進めるべきだ、という考えが大勢をしめている。確かに弱ったチーム、ネガティブになり進むべき道を失っているチームには有効だろう。しかし、それだけで良いのだろうか。

先日、西武ライオンズの松坂が「チームがやるべきことをやっていない。」という発言をし、それに発奮したナインがソフトバンクにサヨナラ勝ちをおさめた、という記事が出ていた。これは「叱って」「ネガティブ」に物事を考える発言に対し、チームがまとまった例ではないだろうか。きしくも私は以前の日記でプロ野球チームの例を挙げたあとであった。私が「ダメだ」といったパターンが有効作用した例であった。

プロ野球の場合、エリートたちだけの集まりで、逆境でも自分で乗り越えられる強い存在ばかりでチームを組んでいたからかもしれない。また、チームが弱りきっておらず、発奮する力がまだ残っていたからかもしれない。ただ、この事例でわかることは物事を一面的に捉え、プログラミングのように「XXパターン」などと称して必ず有効作用するパターンがない、と言うことを教えてくれている。

同じように「誉める」や「ポジティブ」も時と場合によるのではないだろうか。今は万全のような言い方をする人がいるが、それはどうなのだろう。時には、上司から叱られ、厳しいことを言われ、発奮し、その結果プロジェクトの成功が得られる場合もあるのではないだろうか。私は自分のことを「叱られて伸びるタイプ」だと思っている。叱られたり批判されたりすると、そのときは落ち込むが後々考えてみると、その批判を跳ね返すためにがんばった経験が多々ある。

たとえば、10年ほど前のことだが、まだインターネットがやっと企業に普及してきた時代だったのだが、ファイアウォールの設定やDNSSendmailのセットアップを行う仕事を何度か担当したことがある。そんな仕事はしたことが無かったし、ネットワークの知識もそれほど深かったわけではない。第一、インターネットと言うものがよくわかっていなかった。しかし、基本的にはすでにマニュアルが用意されていたので、そのマニュアルどおりにセットアップし、動作確認をするだけなので、それほど問題が起きるプロジェクトではなかった。

しかし、その作業の発注ベンダはやはりネットワークの知識が深く、いろいろ話すと、こちらに知識が無いことがわかってしまう。そしてそこの若手SEに「XXは読んだことがありますか?常識なんで読んでおいてもらえますか?」なんて言われ、悔しかった経験がある。すでに自分は30歳を越えていたが、20代半ばと思われるSEに「常識ですから読んでおいてもらえますか?」と言われたのだ。ネットワークを知らなくても良いとは言え、やはり悔しかった。

その後、顧客レビューがある際に、そのSEは「あなたの勉強のためにプレゼン担当をやってもらいます。」とも言われた。つまり、「あなたは勉強がいろいろ足りないから、勉強の機会を与えます。顧客からの質疑応答の際など、ネットワークのことをわかりやすく説明すれば、あなた自身の勉強にもなるでしょう。」と言われたわけだ。当時はとても腹がたったが、事実、その担当者の方がネットワークの知識は上だったのは私も認めている。で、悔しいので、ネットワークの本を読みました。最低限の知識は理解したつもりです。そしてネットワークのトラブルなどが起きたときにはもう少し深く調査することもできるようになったし、その後もその知識がある程度は生きていると感じている。

これはだから「叱られて伸びた」成功例なのだろう。当時はそれを感じることはできなかったが、結果的には良かったと自分でも思っている。ただ、その相手は今でも嫌いではある。もし、一緒に仕事をすることになったら、相手より自分の能力を高める努力をし、相手よりいつも上に立ちたいと思うだろうな。それはそれでよいのかもしれない。

ただもう少し想像力を働かせると、その相手が成長した自分を見て、「信頼できるようになりましたね。」なんて誉めてもらえたら、やっぱりうれしいのかもしれない。その相手とは、そのとき限りでそれ以降一度も会っていないが、本当に現実に一緒に仕事ができたら、ネガティブな感情が変わるのかもしれない。一度、叱られその後誉められるのがやはり最高に気持ちがいいのかもしれない。おそらく、叱るときは本音に近いものも出てくる。そういう相手は「少なくとも自分に対してはうそはついていない。」とも考えられる。その相手は嫌いであっても、自分に対してはフラットで正当な評価を下しているとも思える。それがうまいこと流れると、より強固な信頼関係になるのかもしれない。

ただ、「誉める」だけはやはりNGだ。本音で誉めるのならそれは事実だから良いのだが、大きな問題を隠蔽し、とても微細なことを「誉めて」「伸ばそう」としている場合、すぐメッキははがれるだろう。「誉める」だけではダメなのである。相手の状況に応じ、「誉める」と「叱る」を使わなければならないのである。正直に誠意を持って相手に対峙しなければ、相手からの信頼は得られないだろう。

では、「誉める」と「叱る」の使い分けはどの様に考えたらよいのだろう。それは

  • 相手の状況に応じ、相手が努力していたら「誉める」
  • 相手の状況に応じ、相手が怠けていたら「叱る」

ということではないだろうか。人それぞれ能力もやり方も違う。しかし、何もせず、言われたことだけを、あまり深く考えず進めている場合、それは叱る対象になるだろう。また、問題意識を持ち、なんらか進歩しているのであれば、それは「誉める」対象になる。相手の状況に応じ、「誉める」と「叱る」を使い分けなければいけない。

ここまで「誉める」と「叱る」について考えてみたが、次回の日記では心から「誉める」ためには、どうすべきかを考えたい。(今仕事中。あまりこの日記ばかり書いていてもマズイよね。)