年功序列、ホウレンソウ禁止 :-)

ちょっと古い話だが、2006年11月11日の朝日新聞に、岐阜の「未来工業」という会社のアンチ成果主義についての記事を読んだ。

この「未来工業」という会社は、現在良いとされていることを真っ向否定していて、それでいて業績が良いらしい。

特に気になったのは上記2点だ。私も給与は「成果主義」が嫌いで、年功序列を推す派だ。この手の話題は話し出すと皆熱くなり、なかなか分かり合えないのだが、現在の日本では「成果主義」が良いとされているようだ。自分の同僚に聞いても一様に「成果主義」を徹底すべきだ、という答えが返ってくる。*1

確かに、企業という利益追求の団体に属しているのであれば、利益を生む人に見返りを与える、というのは自然に思える。たとえば以下のようなメリットをあげる人が多いだろう。

  • 高い給与を与えるから、優秀な人材が確保できる。(辞めないし、転職してくる。)
  • 高い給与を得られるから、モチベーションも高く維持できる。成果を出しても、遊んでいる人と同じ給与では優秀な人材のモチベーションが維持できない。
  • 不要な人材はカットできるし、経費も少なくてすむ。

しかし、私は思うに、こういうのは仕事を営利な手段としてしか考えることのできない人たちの考えでは無いだろうか。こういう考えを進めている人たちは、おそらく、お金のために仕事をしているのであって、仕事そのものや難題を解決する喜びを求めてはいないのではないだろうか。もし、今、一生使いたいだけ自由に使える経済的保障があれば、こういう人たちは、仕事をしなくなるのだろう。確かにお金のために、生活のために仕事をするのだろうが、もう少し労働することそのものに喜びを見出せないものだろうか。

また、成果ばかりを追い求める競争社会で、他者を蹴落とし自分だけの成功を追い求める姿勢を助長しているとも思える。自分たちだけの成功を目指してきた結果が、現在の地球温暖化に象徴されるような環境破壊も招いているように思う。

成果ばかりを追求し、お金のために、自分の成功のためにだけ働くような人材ばかりの社会が本当に幸せだろうか。それに、そういう価値観で走り続けることがその人にとっても本当に幸せなのだろうか。

私は、給与は年功序列が良いと思うのは、人間が人間らしく生活するためには、そのほうが社会にあっていると思うからだ。20代のころは、遊びに使うお金が多かった。30代のころから40代にかけては、家族を養うためにより多くの収入が必要になってきている。そして、子供の教育が終わるまで、出費は増え続けてしまう。このような社会構造の中で、得る収入を特定の成果を上げる人にだけ集中させてしまう社会で本当によいのか、と思うのである。

成果主義を進める人の中には、以下のような考えもあるのだろう。

  • 成果を挙げず、報酬を与えると、その人間は、成果を上げることをしなくなる。つまり、サボるようになる。

はたしてそうだろうか。実際、自分は成果がほしくて仕事をしているわけではない。もちろん、高い報酬は必要になってきているが、それ以上に、自分が生きがいを感じ、充実した毎日を送ることができることを重視している。他にも以下のような人はたくさんいるのではないだろうか。

  • 超過勤務をしても手当ても出ないのに、誰に命令されなくても残業をする人。
  • 難しい問題を解決して、それで満足している人。
  • 顧客の満足を得るために作業をしている人。
  • プロジェクトが成功したのがうれしい、という人。
  • みんなでひとつの目標に向かっていくことがうれしい、という人。

こういう人たちは、報酬にのみ縛られているわけではない。

いやなのは、給与体系を決める人たちは、他者を「成果が無い人間に報酬を与えると、サボる」と考えているからだ。それはつまり、その人たち自信がそういうタイプで、報酬がなければ動かない人たちだから、他の人もそうだと考えてしまうのだ。だから、成果主義がぴったりくるし、サボらせないためにも報酬というアメと成果主義で、サボると給与が下がる、というムチが必要だと考えてしまうのだ。もう少し、経営者層に、仕事に対する考えを変えてもらいたいものだ。

などと、考えていたところに、この「未来工業」の記事を読み、とても共感を得ることができた。実際、上記のような理屈をいくら伝えても、ほとんどの人が、懐疑的で納得してもらうことはできなかった。しかし、同じ考えをもち、しかもそれが成功している、というのだからすごいことだ。この記事を読んで、結局「正解は無い」ということと「Visionを持ち、自信を持って自分の考えで進める」ということなのかな、と感じたりしている。「正解が無い」ことを知っているために、「常に考える」ことが必要であり、さらに、「自分の考えに信念を持つ」という矛盾したような状況が、重要なような気がする。

そう考えると

  • ホウレンソウが禁止

もとっても納得できるのだ。もちろん、ホウレンソウは重要だが、やってはいけない落とし穴があるということだ。私も、この日記で、前から書いているが、現場を良く知らない人間が、勝手な思いつきで勝手な命令をしていく、ということがおきないようにするために、ホウレンソウを禁止しているのだろう。スクラムでもスプリント中は顧客からの要望をスクラムマスタがガードし、メンバは何も知らない状況で作業をするとされている。今私が作業しているプロジェクトでも、マネージャが突然思いついて以下のような命令をしてくるのだ。

  • 「インタフェイス仕様書を見直せ。」
  • 「ドキュメントレビューをしろ。」
  • 「新しい進捗表を作成して、提出しろ。」

マネージャは、プロジェクトを思っていろいろアイディアを出しているつもりなのだろう。しかし、いかんせん、チームに入っていないため、状況が良くわからず、リーダたちの報告を聞いて、思いついたことを命令してくるだけなのだ。特に、実績を上げてきた優秀なマネージャがこういう傾向が強く、また、命令される側も、そういう優秀で高い実績を上げてきた人の意見は聞くべきだ、などと思う人も出てきてしまう。それがまずいのだ。もちろん、良い場合もあるが、現場は現場で状況に合わせ最適化している状況に、突然、正論が振ってきて、その対応に四苦八苦し、結局終盤に過剰な勤務に陥るのだ。私は、マネージャの立場なら、状況を理解し、命令ではなく、助言をすべきだ、と考えていた。確かに、一歩引いた立場から見たほうが良くわかることも多いし、助言が功を奏する場合もあるだろう。現場は近視眼的なものの見方しかできていないため、マネージャ視点からの指摘も重要な場合ももちろんある。なので、私はホウレンソウが禁止はやりすぎだと思う。

しかし、それをあえてしている、というのはやはり「正解は無い」し、「自分の考えに信念を持つ」っているのだと思う。そしてそれを常に考え続けた上で、維持しているのではないだろうか。

先ほどの成果主義も、誰かが良いといったから採用しようとか、XX企業での評判が良いので取り入れよう、などと安易に考え進めていくと、Visionも信念も無いので、結局は失敗するのだろう。結局正解は無いのだが、どうも自分の考えではなく、他人の考えに流されている人が多いように思う。結局自分で考え続けなければ信念も得られないだろう。一般的にはアンチパターンの「未来工業」の成功は私のようなものにとっては、ちょっとうれしい情報であった。

*1:実は、私も数年前まで、成果主義徹底派だった。というのも、自分たちに命令してくる上司は、能力もなく、仕事も給与や作業時間に比べたらもらいすぎとしか思えない人がたくさんいたからだ。その人たちの仕事といえば、特になくても困らないようなExcel表を書いて、いろいろ計算していただけだったし、無駄と思えるような会議ばかりしていた。もちろん、重要なものも、必須なものもあるが、そうでないものもたくさんあったように思えた。なんで、この人たちは、こんなに仕事をしないで給与がもらえるのだろうと思うと、本当に腹立たしかったのを覚えている。しかし、今はそういう状況にならないためにはどうすべきかを考えるようになったように思う。根本はその人たちが、悪意をもって立場を利用して遊んでいよう、と思っているのなら、許せないのだが、そうではなく、その人たちも一生懸命企業に貢献しようと思っていた人が多かったように感じるからだ。中には悪意を持っているとしか思えない人もいたが、9割の人は悪意がなかったように見えた。そう考えると、Problem Vs Usという図式が私の中で確立され腹もたたなくなった。