週40時間労働の効果 :-|

以前にも、週40時間労働を強制するのはNG、と主張したが、実際に実施した状況をイメージしたところ、面白い効果があるような気がしてきた。

たいていの場合、最低限の切れ目までは作業を継続してもよい、と言うルールだろうが、これを厳密に時間で区切ってしまうのだ。たとえば、

  • コンパイルエラーを修正していて、スペルミスに気づいた段階
  • 障害対応中で、修正項目に気づいたとき
  • 議事録を半分書き終えた時
  • イテレーション最終日、最後のテスト項目がまだ通っていない時

こんなときでも、時間がきたら作業を中断して帰らなければならないのだ。たとえあと30分で終わるのに、と言うときでも、作業を中断するのだ。これをやると開発者は大きなストレスを抱えることになるだろう。実際、帰宅途中でも、「あそこをああ直せば...」とか、「自宅で作業できないからな。明日の朝はメールチェックをする前にまず、コーディングしてしまおう。」とか帰宅しても結構業務の事で頭を働かせ続けることになるのではないだろうか。もちろん、切り分けの上手な人もいるだろうが、結局頭の中でいろいろシュミレーションしたり、やることを考えたりと落ち着かない気分になる人も多いだろう。実は、これが裏の狙いなのか?などと感じることもある。

集中して作業を続けていると、細かなミスや問題に気づかない場合も多い。それを自宅に帰って冷静に考え直す機会を与えてくれるのが、週40時間労働なのかもしれない。

強制的に週40時間労働を実施する、というのも面白いのかもしれない。

しかし、おそらく、週40時間労働が浸透すると、定時の30分前には

  • もうすぐ定時だ。新しいタスクや問題に取り組むのはやめよう。

という流れも蔓延するかもしれない。そのような状況では、作業に対する真剣さが薄れる懸念もあるかもしれないし、冷静に家で考える、ということはできなくなってしまう。(別に、家で業務を考えなければいけないとは言っていないことに注意。)やはり極端に早く帰るのを強制するのもおかしいし、極端に残業を強制するのも当然問題だ。やっぱり、自分は作業メンバそれぞれが自立的に自分の作業時間をコントロールし、最も能率の上がる時間を選んでほしい。その基準が週40時間と言う人は多いだろうし、そうならそういう人にはぜひ40時間作業をお願いしたいものだ。そして、それを周りが問題と思わない文化を育てたい。成果主義は嫌い(報酬と結びつけるから)だが、成果が最も上がるような作業を奨励するのは嫌いなわけは無い。そのような文化を広げ、プロジェクトごとにどのような作業の仕方が最適かを常に、メンバ全員で考え続けたいものだ。