女王の教室(^-^)

テレビドラマの「女王の教室」を観た。いろいろ考えさせられることが多かった。

その中でも、主人公の孤独な戦いにとても感動したし共感もした。誰にも理解されないどころか、自分の思いを曲解され上辺の見た目だけで勝手に事実を誤認していく人たちの中で、主人公は自分の信じる道を進み続けていた。

そこでちょっと気になる疑問が浮かんだ。

  • 私は誰かに理解してもらいたくて、仕事をしていなかっただろうか。

自分はほかの人よりこういう傾向が強いようには思っていたが、本当にそのようなことを目標として仕事をすることが自分の幸せになるのだろうか。

本当に満足するためには自分自身が納得し満足するまで、自分自身をごまかさず、信じる道を進むべきではないだろうか。

以前、http://d.hatena.ne.jp/fkawakam/20050831 の日記で議事録についての事件を書いたが、この事件以来、自分は自部門の議事録を作成しても公開することはやめていた。しかし、本当にそれで自分は満足だったのだろうか。公開をやめたのは、公開をやめるきっかけを作った人に考えてほしかったからだ。しかし、現実には何も無いところからは考えることも発生しない。おそらくその人は、自分が正しく、私が間違えていた、と今でも思っているだろう。そして、結局誰も議事録を書かなくなり、過去の状況を正確に思い出しにくくなっている。議事録を書く文化も育たなくなってしまっているようだ。

やはり、自分は誤解されても、ひどい言い方をされても、自分の正しいと思う道を進み続けてみよう。テレビドラマに影響された、なんてちょっと恥ずかしいが、自分の至らない部分、自分のごまかしていた部分を考えさせられるきっかけになりとても有意義だった。

次回からまた、自部門の議事録を公開してみよう。またひどい言われ方をしたとしても、そのつど誠意を持って対応していくしかないだろう。誰にもわかってもらえなく、心がつらくなったらここに書き込んでおこう。もしかしたら共感する人がいるかもしれない。(心が弱っているときには、やっぱり誰かに聞いてもらうとか、共感してもらうというのは自分には必要だろう。私はテレビの主人公のようには強くはないが、愚痴を聞いてもらえると思うだけでもずいぶん楽になる。)

また少し勇気をもって進んでみようと思う。


追記:
自分がよくやる考え違いに、「全員に理解してもらう」というのがある。所詮、全員に理解してもらうなんてことは夢まぼろしで、そんなことは不可能だ。それより、ごく一部の人にでも何かが伝わればそれでよいのだ。
こんなところにも完璧を求めてはいけない面がある。