不満のパワー

新しいプロジェクトに入り、1ヶ月が過ぎようとしている。今回のプロジェクトでは、プログラマとして参加しているが、徐々にメンバが増えるにつれ、プログラミングリーダのような存在になりつつある。

プログラミング担当は人数も少なく期間も短く、分析設計チームと比べると過酷な状況におかれているように思うが、それは大きな問題ではない。最終的には機能を削って納品することも許容されている。

今回のプロジェクトはプロジェクトのリーダやマネージャが割りと柔軟な発想を持っている。Wikiも使用したことがなかったチームだが、自分のPCでWikiでドキュメントを管理し、他の人にも「よろしければご利用ください。」と伝えていたら、「社内サーバで運用したい。」と言ってきてくれたし、Subversionの使用を軽く提案したら、何度か、「設計書も管理したほうが良いのですか?」などと前向きに質問に来、結局設計書もSubversion管理となった。(ソースの管理はすでに行っていたが、設計書管理という発想は無かったようだ。)

前回のプロジェクトの教訓で私は何事も強行には提案せず、「こんな案がありますけど、いかがですか?もし興味があれば、こちらのURL(自分が書いたWiki)をご覧ください。必要であればご説明します。」という言い方をしてきたが、チームリーダたちは積極的に採用を検討している。朝会もそうだ。先週末からついに朝会も採用され、実施している。自分から見ると、順風満帆なプロジェクトだ。

もちろん、いろいろ問題はあるが、想定範囲内、と言う意味である。そういう意味では前回のプロジェクトでの「挫折」や「苦労」はほとんど感じていない。まだまだ改善をチームで検討して進んでいきたいが、致命的にイケてないところはない。

話は変わるが、今、又雑誌に記事を書いている。しかし、なぜか筆が進まない。前回のプロジェクトで大層苦労しているときは、自分でもびっくりするぐらい筆が進み、一晩で8,000文字の原稿を仕上げたこともある。

つまり、私の原動力は不満なのだ。前回のプロジェクトでは価値の無いことばかりやらされ、提案資料を作成し、いろいろ考え、少しでもプロジェクトをよくするよう、少しでも動くソフトウエアを高い品質で低コストで期間内につくるために日々悩みながら努力をしていた。その考えが記事に生きていた。

今回のプロジェクトは自分の経験の中でも最もやりやすいプロジェクトのひとつだ。そこでぬるま湯につかり、楽をしてしまっているため、改善をする意欲も生まれず、日々プログラミングに従事している。もちろん、不満や問題が無いわけではない。しかし、十分許容範囲であるし、この程度なら急がずあせらず緩やかに改善していけばよい、と言う問題ばかりに見える。まったく問題意識が無いわけではないので、やはり幸せなのだろう。

最近、時間の過ぎるのが早く、仕事は忙しいのだがおそらくかなり充実しているのだろう。Quality of Engineering lifeが高く、幸せなのだと思う。しかし、幸せであるがゆえに、ぬるま湯から出られなくなっている自分がいるのかもしれない。

歴史上の著名人もたいてい家庭は最悪だった、ということを何かで読んだことがある。不満がなにか大きなことをする原動力になることは確かだ。少なくとも自分にとっては。