相談をするときは

友人と知り合いのバーに行った。一緒に行った友人もシステム屋なので、いろいろ話はできる。彼もドキュメントでは苦しめられたそうだが、私のプロジェクトのような深刻な状況ではないようだ。どちらかというと、彼はドキュメント作成プロジェクトのようで、ドキュメントを書く目的で書いていたらしい。「動くソフトウエアは無いんです。」と言っていた。なるほど、そいういうプロジェクトもあるよね。

飲み屋では偶然にも、その友人の友人たちが来ていた。どうやら前の会社の同僚らしい。つまりはその人たちもシステム屋。そこでいくつか話したが、みんな精神的につらくて、長期休暇などをとっていたことがあるらしい。年代はやはり40代ぐらいかな。みんな「つらい」というのはどういう風につらいのか聞いてみた。


私:「やはり作業時間が多く、休みが取れないのがつらかったのですか?」
相手:「いや、時間じゃないよ。そんなのはたいしたことじゃないよ。」


やはり想像どおり、作業時間がたくさんで休めない、と言う状況がつらいのではなく、おそらく、砂をかむようなプロジェクトや個人の価値を認めないプロジェクトでやりきれなくなって、「つらい」と感じるようになったのだろう。初対面だったため、あまり突っ込んだ話はできなかったが、私が感じた「つらさ」と同じ方向性を向いていたのだろう。


すこしお酒も入り、私も自分のつらかった経験などを話し、お互いの共感を得ようと思い、自分のことも話してみた。


私:「私もつらかったですね。価値の無いドキュメント作成ばかりさせられましたから。本当に必要なことは他にあったんですけどね。」


すると、先ほどまで、あまり話していなかった、もう一人の人が、口を開いた。


他の人:「それは、もっとやるべきことがあったんじゃないですか?本当に思うことがあれば、もっと積極的にやることをやらねばダメなんじゃないですかね。」



おお、なんと一般的なアドバイスだ。40代を越えた相手にこんなありきたりの提案(というかお説教)をしてくる人がいるとは驚きだった。確かに、表面的には、そのとおりだが、その程度のレベルと見られるような話の流れではなかったと思うのだが。しかし、初対面の方に自分の状況をやみくもに表現しても仕方ない。


私:「そうですね。まだまだですね。」


なんて、言ってしまった。

この体験で思ったのは、やはり本音で話をするには相手を選ばなければいけない、ということ。ありがちなのは、自分の上司にこのような話をすると、上司が同じような対応をしてくることがあるだろうということ。上司が自分をどの程度知っているか、上司が人の話をどの程度真剣に聞いてくれるタイプかによって、は、このような状況に陥り、却ってストレスをためることにもなる場合があるだろう。

一緒に行った友人はある程度、私の話している内容を理解してくれた。これはたぶん信頼関係ができていたから、聞いてくれたんだと思う。上司とこのようになるのは難しいかもしれない。その場合、上司には「聞く能力」が非常に重要になる、ということだ。