まず、やろう

アジャイルプロセスを信じている自分としては、「入念な計画や設計をするのではなく、まず動くソフトウエアを作ってみよう。」と考えるようになった。同じように、「前提のXXがわからないと、設計できません。」とか「XXに影響されるため、XXを先に決めたいです。」と言って、担当作業を遅らせるのは好きではない。XXの部分が決まらなければ、とりあえず暫定で決めてしまい、あとから修正すればよい。こう考えるのだ。


しかし、状況によりそれは納得できない場合がある。


前提条件が確実に間違えていることがわかっているのに、そちらを検討せず、ありえない条件の上にありえないドキュメントを書くことである。


あきらかに問題があるとわかっているのに、それを検討することを担当者が怠り、こちらにだけ、「今すぐやって!」というのはおかしな話だ。忙しいのはわかる。ならばその検討をこちらに依頼するなどして、明らかな間違いは先につぶせばよいのだ。あまりに無意味な方向性がわかっており、他の方針の作業をすることがよければそちらをやるべきだ。「まず、やろう」といって意味もなく闇雲作業をしてはいけない。



うまく説明できないが、今自分が担当している作業は、まったく意味がないことがわかっている。サブリーダは「意味がないことをわからせるために、ドキュメントを書いているのだ。それだけでも価値がある。」と言うので、そう言われると、「はぁ、そうですか。」だが、他のやり方もあるだろう。またそれが復旧可能なコストならまだよい。しかし1人月まるまるかけてムダ作業をするのはストレスも感じる。

意味がある作業をしたい。こちらには、もっと友好な作業があるのがわかっているのに、それをすることが許されない。自分ひとりでは、できない部分だからである。簡単なヒアリングでも可能なのに、それも許されない。今、「間違えていることがわかるための資料」をつくるためにドキュメントを書く、その行為にどれだけの意味があるのだろう。

しかし、一度提案し、説得できない場合、意見を引くのがワーカの役目。やはり、このやり方で船は沈むか、と言われると、沈まない。ならば理不尽でも従うしかないのだ。そして従うと決めたなら理不尽とは思わず、有効な作業と思い込まなければいけない。


私は43歳にして、単なるワーカにもどるという貴重な経験をしている。リーダに戻ったとき、ワーカの気持ちをよく理解できるだろう。それが今回のプロジェクトでもっとも自分のためになる部分であると納得して作業を継続しよう。