議事録

先日、議事録についていろいろ話をする機会があった。参加者でいろいろ問題を提示しあったのだが、多く聞かれた問題には以下のような内容があったようだ。

  • 書く時間が無い
  • 書いても誰も読んでくれない
  • フォーマットが決まっていない

まず、書く時間が無い、というのは確かにそのとおり。所詮議事録程度なので、プロダクトコードを書くことより優先させるべきではない。しかし、時間をかけず、必要な情報を残しておくことはとても意義がある。なので、自分は会議という会議すべて議事録を書いている。大事なのは時間をかけずに書くことだと思う。


次に、書いても誰も読んでくれない、というのは現実にはよくある話だろう。議事録を書く側としては、「せっかく書いたのに」という気持ちになり、モチベーションも下がってしまうだろう。しかし、議事録を読まないのは、主に以下の2つの理由があるのではないだろうか。

  • 議事録が細かく、読むのが大変そうである
  • 関心が無い

議事録に求められるのは、必要なときに必要な情報を引き出すために存在すればよいのだ。そのため、必要以上に細かく書く必要は無い。もちろん、どの程度という落としどころは難しいだろう。しかし、前述のように時間をかけずに書くことが重要なので、ある程度はテキトーになることは仕方ないと思う。実際、一番の問題は議事録が存在しないことなのだ。だから、ある程度テキトーであっても存在していれば必ずプラスになるだろう。無いよりはマシ、なのである。そして、無いよりマシ程度の議事録なら読むのが大変な議事録にはならない。

しかし、本当に言いたいことはこの点ではなかったりする。

実は、議事録を読んでもらおうという発想自体が問題なのだ。確かにせっかく書いたのだから、書いたものが役に立つ、ということを感じたいだろう。しかし、議事録が威力を発揮するのは、書いた時期よりずっと後だったりする。そう、人間の記憶が薄れてきたときに有効なのだ。その時点で役に立てばよいのだ。(もちろん、議事録の意味はこれだけではないが、話の流れ上、そのほかは割愛する。)だいたい、完璧な議事録を書こうとするから、時間もコストもかかり、大変な労力をかけたので評価してもらいたくなってしまうのだろう。時間もコストもかけないで、単にテキトーに書いてしまうだけなら、別に誰も読まれなくても問題には思わない。それより、「いつか役に立つかもしれない」と思えるだけでよいのではないだろうか。

それに、誰かの役に立つと考えるよりは、自分個人のためになる、とだけ考えても良いだろう。事実、私は会議だけでなく、立ち話や電話の内容まで議事録としてWikiに書いて公開している。しかし、それがそのときに誰かの役に立つため、と考えるよりは、将来自分が困らないように書いているだけ、なのである。こう考えていけば、議事録を誰も読まない、などと嘆くことはなくなるはずだ。

しかし議事録が存在していれば、議事録に関心がなかった人たちも困ったときには検索するかもしれない。まあ、それでいいじゃないですか。何にもないよりは。


そして、フォーマットが無いから書けない、という問題。これは、議事録に対する誤解が強く存在していると思う。きちんとした記録として、漏れもミスもなく記載され、十分確認をして議事録として保管しようと思っているから、フォーマットが無いと書けない、と思ってしまうのではないだろうか。もう一度言おう。「所詮は議事録、動くソフトウエアには関係ない!」のだ。(もちろん、間接的には関係する。なので私は議事録を書き続けているのだけどね。)

そしてなんとも悲しいのが、そういう高い理想を議事録に抱いてしまったため、結局議事録を書いていない、という極端な結果になってしまっているのではないだろうか。

私も若い頃は、「議事録を書いてください。」と言われると「フォーマットはありますか?」と聞いていたことを思い出した。フォーマットがないと指示者の満足が得られる文書を書けない、と思ったからだ。そして、フォーマットが無い場合は自分で定型フォーマットを用意したりした。(しかし、同じような人がその後も沢山出て、結局フォーマットが多数生まれるのだが。)つまり、指示された内容に対しプロとして責任をもって仕事をすべき、と考えての回答だった。しかし、本当に議事録に必要なことを考えると、フォーマットにこだわる必要はなく、単に決まったことを箇条書きにしても良いのだ。また検討内容をだらだらと書いてもよいのだ。最も重要なことは、「将来、必要になったときに検索できること」なのである。

議事録に、プロとしての責任を果たそうとするのはすばらしい姿勢かもしれないが、すべてを100点にするというのは、単にプロジェクトをデスマーチに追いやるだけな気がする。手を抜くところ、手を抜いてはいけないところを考え、進んでいかないと、いつまでたってもデスマーチから抜けられない。

あと、もう一つ。私の書いている議事録はお客様には見せられない、という意見ももらった。(私は、Wikiに書いて、オフライン先のお客様にはWikiをPDF化してメールしている)たしかに、一瞥して誰がいつまでに何をするか、などが明確に書かれていない場合も多い。しかし、お客様は本当は動くシステムを欲しているのであって、美しい完璧な議事録を求めているわけではないのだ。(しかし、お客様自身も気づいていない場合はある)

事実、自分はかなり大きなチームの議事録を書いていたが、WikiをPDF化した議事録をデファクトとして通用させてしまったことがある。

もちろん、お客様によってやプロジェクトの性質によって、議事録に高い品質を求められることもあるだろう。それは、こういうテキトーな議事録でよいかはその都度判断しなければいけない。ただ、思ったよりもお客様は受け入れてくれる。そもそもメールで議事録を送っているような運用ならメールがPDFに変われば見栄えが若干向上するので、NGとはいえないだろう。

議事録に関しては、もっと話したかった。

所詮議事録、されど議事録、という感じだ。如何にに手を抜き、かつ有効な情報共有と保存ができるか、が大事なのだ。