Problem vs. us

最近少し気になっているのが、「Problem vs. us」という言葉だ(http://www.objectclub.jp/download/files/pf/ProjectFacilitation20070314.pdf)。 つまり、何か問題があってもその問題を起こしてしまった人を責めるのではなく、問題そのものに対処しよう、という考えだ。その話だけを聞くととても同感できるし、納得できるのだが、深く考えると何かおかしいという気がしてくる。

もともと問題の原因が何かを考えず、問題だけに場当たり的に対処すればよいとも聞こえてしまう。問題そのものしか見ていないとおそらく同じような問題は将来にも頻発するだろう。なぜ、問題がおきたのか、そしてその問題を再発させないためにはどうしたらよいのかを考慮することも非常に重要だ。そのことを忘れてよいといっているように聞こえてしまうのだ。

ここまで言うと、「じゃ、あなたは問題がおきたときに、原因を追究し、結果的に個人を追い詰めることを良いことといっているんですね。」と思われる方もいるかもしれない。が、私は、大事なことを忘れないようにしよう、といっているだけなのだ。

実際に、私が問題を発見したらどうするかというと、簡単には以下のような流れで対応や検討をしていると思う。

  • 問題の深刻度、影響度を考慮し、迅速な対処が必要ならまずは対処する。
  • 次に、問題の原因を考える。(とはいっても、問題が発覚した時点で脊髄反射的に原因を考えてしまうことが多い。)
  • 次に、再発防止を検討する。(これは、たとえ他人が問題でも、自分だけで検討し、誰にも言わない場合もある。)

私が言いたいのは、問題の発生原因が将来も大きな問題を繰り返し発生させる可能性が高いかどうかを判断して、何をするのかを考える、ということだ。問題に対する対処はさまざまだ。単なる怠慢が原因で頻発する可能性があるなら、個別に面接をするかもしれない。ケアレスミスなら、みんなで気をつけよう、というぐらいにするかもしれない。ふりかえりや朝会の二次会で皆で検討するかもしれない。ただ、相手を闇雲に非難して自分のストレスを解消するのはやめたいとは思っている。それが「Problem vs. us」なのではないだろうか。

まあ、単純に問題に取り組めばよい、なんていったって、そこはやはり人間なので、問題分析や再発防止に必要なら、個人攻撃をついついしてしまうだろう。私が考えたいのは、その個人攻撃が相手にとってもチームにとっても将来にわたってプラスになるのならやるべきだし、プラスにならないのならやらないほうが良いと思う、というぐらいだ。相手の性格や状況にも様々に左右されるので、簡単に「Problem vs. us」とはいえない、ということを知っていれば良いと思うのです。その上で、自分がどのように考え行動するかを考えると、実は「Problem vs. us」って実は私の考えにとってもマッチしているのだ。

補足だが、もし個人に問題がある場合は、私は直接その問題を個人に言うことはあまりしない。自分が行動を起こすことで、その相手が気づくのを待つのだ。私もそうだが、人間年をとると人から言われたことは正しいことでも納得できないことが多いからだ。しかし、自分で気づいた場合は、納得して行動をとることができるから。時間はかかるし、相手も気づかないかもしれないけれど、それでよいのだ。そういう考えで行動していれば、少しずつ変わっていくはず、と信じているのだ。