常に考える :-)

最近、考える姿勢を忘れていた気がする。例えば、雑誌記事や書籍を読んでも、「そんなことは知っている。」とか、「その考えは間違えている。」と思うことが多かった。自分に気づきを与えてくれる情報が減っているような気がしていた。それは、自分が成長したからだろうか、なんて考えていた。

しかし、よくよく考えてみると

  • 他人の意見を真剣に考えていなかった

ということになるような気がしている。ほぼ全ての内容に賛成すべき点と反対すべき点があるはずなのだ。正しいか間違えているかのどちらか一方にしかならないことなんて、おそらく無い。

「つまらない意見だなぁ」と思うのではなく、その意見に賛成できる点や自分の気づいていない視点があるかどうかを、十分考える必要があるのだ。結論を出す必要は無い。しかし、相手の主張のメリットや深い洞察なしに、物事を断定するのは非常に危険な行為だったのを思い出した。

  • 「それは間違えているのでやめてください。」
  • 「どう考えても、こちらが正しいと思います。そうすべきです。」
  • 「この対応でなければ、高い効果は得られません。」

システム開発に携わるとこのようなセリフを良く聞くし自分でも言っていたりする。しかし、正しいことなど無いし、全てにおいて様々な見方やメリデメが存在するのだ。行動を起こすときは一つの行動しか取れないので、何をするかを決定するのは必要だが、その行動をもって、正しいとか間違いとかを言うこと自体が問題なのだ。

ということを忘れていた。そう考えていくと、理不尽である、と感じることも理不尽な面以外にプラスになる面もある。どうして、こんな大事なことを忘れていたのだろう。だんだん、人間は年をとると、自分が偉くなったり賢くなったり思慮深くなったり経験から他人より深く考えられるし冷静で正確な判断ができるようになった、と勘違いを始めるようだ。若いころはもう少し謙虚だったのかもしれない。自分の周りを見ても、年をとったり、肩書きがえらくなる人ほど、物事を深く考えず、相手の主張を一切受け入れず、自分が正しいと信じているような気がする。それはそれで、強い行動力を生む面もあるが、物事を一面的にしか考えられなくなる危険性がある、と知っていたほうが良い。